おいも研究室

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読書『天才シェフの絶対温度「HAJIME」米田肇の物語/石川拓治』

読み終えると、日常の風景が変わって見えるようになる本に、たまに出合う。この本は、そんな本の一冊だ。(思いが強すぎて、以下珍しく長文となる。)

主人公はフレンチシェフ、米田肇。25歳で脱サラして料理学校に通い始め、30台半ばで自らの店でミシュラン三つ星を獲得している。米田氏の魅力、そして著者の石川の筆力に陶酔し、夢中でページを繰った。

突き抜けた仕事

まず心惹かれたのは、随所に散りばめられた「突き抜けた仕事」に関する記載である。例えば、米田氏が最初に仕事をしたレストランの「塵一粒の存在も許さない、完璧に清潔な厨房」。このレストランについては、決して好意的に描かれてはいない(古き悪しき体育会系ブラック企業だ)。しかし、キチンと整理整頓された空間に憧れる自分は、想像しただけでもうっとりしてしまう。(自分もこんなレベルで家の掃除をしたら、毎日気持ちよく過ごせるだろうか。)

その他にも、伝説の空手家 中山猛夫氏がK1選手をKOした話や、ミシェル・ブラスの包丁さばきの話など、天才たちのエピソードが胸に刺さる。(子どもの頃『ロトの紋章』というマンガで、戦士が修行でくたくたになった時、力みが抜けた剣の一振りが会心の一撃になるエピソードが好きだったのだが、それを思い出した。)

ミシェルの「これで完璧だと思ったら、それはもう完璧ではない。ただ完璧を追い求める姿勢だけがある」という言葉や、米田の「猛烈に速いが、シェフと呼吸の合った働きぶり」や「シェフのイメージ以上のことができないと認められない」などというエピソードから感じられる突き抜けた仕事ぶりは、非常に憧れる。

天才の努力

米田は何かを始めるとき、ある程度のコツを掴むと他人と同じ練習をせず、本当に自分に必要なものを見極めて、(予め用意されたレールから外れるのを恐れずに)独自の練習を積む。この姿勢は、学校で画一化されたプログラムの中で学んできた私たちの世代が、これからの世の中で生き残っていくために大切だと思う。

どんどん違う環境に自分を置き、良いものを吸収していく姿勢は、料理人の世界ではよくあることらしい。米田も、一流のシェフになってから更にもう一度フランスに渡り、修行をしている(普通の人だったら、一流と言われれば、そこからまた修行入りしようとは思わないだろう)。自分は今の職場が長く、コンフォートゾーンに入り浸り、「ザ・井の中の蛙」という状態になってしまっている。状況的に、今の職場をしばらくは抜け出せなさそうである。何とかして、新しい環境に触れられる機会を作れるよう、真剣に考えなければいけない。

死ぬまでに何を遺せるか

米田の突き抜けた仕事は、不断の惜しみない努力によって作りあげられている。どんなに遅くなっても、疲れていても、机に向かってノートを広げ、その日一日の仕事で学んだこと、考えたことを必ず書いたらしい。夢に向かって猛烈に努力している人でさえ、このような細かい努力を怠らないのだから、ぼーっと生きていて、夜は一人でテレビを観ながら晩酌しているような自分は、あっというまに人生で周回差をつけられてしまう。

米田は35歳の時に父を亡くし、残りの人生を(父と同じ)あと30年と捉え、残された時間で何ができるかと自問をしている。自分も35歳になり、最近ちょうど同じような事を考えていたところだったので、こういうことを考える時期なのかなと思い、とても興味深かった。自分はこのまま生きていたら、何もできないまま人生が終わってしまうのではないだろうか。(そんなことを考えていたら、次はセネカの『人生の短さについて』という本を手に取っていた。)

米田は、一流のパン職人(当時はまだ発展途上)のパンをつまみ食いして「どうして、そんなに不味いパンを焼いているの?」と聞いたらしい。なんか、このエピソードが妙に心に残っている。自分も美意識を鋭敏にしたい。惰性で飲み食いしてるものって、結構多いよね。できるだけ意識して、美味しいものを摂取して生きていくようにしたい。