おいも研究室

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読書『夜と霧:著/ヴィクトール・E・フランクル、訳/池田香代子』

ユダヤ人心理学者である著者が、自らのホロコーストでの体験を心理学者の立場から記した記録。とても生々しくて、読んでいて辛くなる。このような残酷なことが起こっていたことを忘れてはいけないし、同じようなことが繰り返されてはいけない。

著者は、一体どうしてこのような地獄の中で生きて行くことができたのだろう。私は昔から「不治の病になって、余命幾ばくもなく、(肉体的に)生きていること自体がとても苦しい状況になったら、一体どう生きればいいのか?そのような状況では、生を簡単に諦めてしまうのではないか?」という、ある種の恐れが胸の奥底にあるのだが、それに対する一つの考えが記されてれている気がした。以下に引用して記す。

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにかを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ・・・(中略)・・・生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。・・・(中略)・・・具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。・・・(中略)・・・この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。