おいも研究室

chihakuma's weblog

読書『考える技術・書く技術/バーバラ・ミント』

うまい文章が書けるようになりたい。あわよくば、いつか本を出したい。それが私の夢である。しかし、どうしたら文章を書くことができるのかわからない。数年前から、メルマガやブログを書こうとしては断念を繰り返していた。そこで、藁をもすがる思いで、名著であると言われている本書を手に取った。一体どうしたら、文章が書けるようになるのだろうか。

ピラミッド構造

本書のポイントは、ピラミッド構造をとる文章の書き方・モノの考え方である。「ほうほう、なるほど」と思ったのだが、よく考えるとこれって、大学入試の小論文や、大学の論文や、主任試験で嫌という程やった気がする。(theses statement、intro、body、conclusion、topic sentence、supporting sentence、concluding sentence…とか、よくやったなと思い出す。)文と文、パラグラフとパラグラフが有機的な繋がりをもった文章で、ひとつの主張を展開する。こんな基本的なことを、この本を読むまですっかり忘れていた。

日常の文章を書く、あるいは仕事の文章を書くのにこの考え方が使えると思い当たらなかった。なぜか全く異質のものとして考えてしまい、今まで結びつけることができなかった。大学でお金を出して学んでいたことなのに、勿体ない。何の為に学んできたのだ。今まで学んできたことを、普段から積極的に出していくべきである。

大学で学んだ論文の書き方と、日々の文章の書き方が結びつかなかった理由―恐らくそれは、文体が影響していると思われる。自分は柔らかい文体を好むが、論文は何だか無機質で固い感じがする(この問題については、最後に課題として挙げる。)しかし、骨組みとしては、同じように考えればいい。

さて、構造がしっかりした文章を作成しようとすると、まず必要になるのは骨組みである。今まで私は「論文を書く時は、事前に骨組みをつくると」という意識はあったが、「どうやったら、うまい骨組みができるか」については考えたことがなかった。それでは「うまい骨組み」は、一体どのようにしたら設定できるのか。

骨組みを作る

文章を書く前には、まず骨組みを作らないと論理的に書くことができないが、骨組みを作る上で必要になる「素材」を集めるための定石はブレインストーミングだと思うしかし、ひとくちにブレインストーミングと言っても、アイデア出し(問題点の抽出、仮説=解決策の構築)には様々な方法がある。図式化は非常に有用なメソッドであるが、解決すべき問題により最適な手法というものがあるようなので「こういう時は、この戦術でいくといい」ということを今後まとめていきたい。

骨組みを作る上で、「単なる箇条書きはだめ」ということが本書で述べられていた。この点、肝に命じておきたい。ただ骨組みを作るにあたっても、「人を惹きつける書き方(論理展開)」でなければいけない。また、導入部の書き方(状況→疑問のトリガー(問題発生)→疑問→答え)は非常に参考になった。

今後の課題

本書の手法を総動員して文章を書くことは非常に難しい。練習を積み重ね、少しずつ習熟していく必要がある。あと、やはり文章に芸術性がほしい。あまりにもありきたりであったり、ビジネスライクな文書は、面白みがなくて読みたくない。読んでいて心地よい文章、ハイになる文章が書けるようになりたい。

しかし、音楽や絵なら目指すべきイメージ容易に想像がつくのだけれど、文章だとぱっと思い浮かばない。今後、「好きな物書きはどのように書いているのか」を気にしながら日々文章を読んでいきたい。

とりあえず、自分が納得いく、腑に落ちるレベルでどんどん書いていきたい。絵師は、絵を描くのに物凄い時間をかけていて、自分がばぱっと綺麗な文章、人の心を動かせる文章を書けるはずがない。時間はかかるであろうことを覚悟する。また、(5パラぐらいの文章を書くならいいけれど)長い文章を書く時の全体構造がよく分からないので、改めて論文の書き方の本を読みたい。

読書『メモの魔力/前田裕二』

この本を手に取ったきっかけ

「メモをちゃんととると、どれだけいいことが起こるか?」「効果的なメモのとり方とはどのようなものか?」 ――日々時間に追われている私は、できるだけ効率的に仕事をこなしたいと常々考えている。また、歳のせいか、最近非常に忘れっぽい。そのため、この本を読み、ちゃんとメモが取れるようになれればこれらを改善できるのではないかと思い、本書を手に取った。

メモを取る量、取り方

まず注目したのは、筆者がメモをとる量を「すごくたくさん」「聞いたことをすべて書き取る勢いでやった方がいい」と述べている点である。昔から「メモはポイントだけ拾い、できるだけ少なくとる方がいい」と考えていたので、こんな真逆な考え方もあるかと驚いた。

私は会議中、よく集中力が無くなって違うことを考えてしまい、話についていけなくなる時がある。しかし、「全部メモしてやろう」という気持ちで会議に臨むと、集中力が高まり、会議の内容を取りこぼさなくなった。また、真剣に相手の話を聞いている感じが出て、周りへの信頼に繋がる気がした。

ただし、大量にメモを取るとしても「ただ単に機械的に取るのではなく、整理することも大切である」と述べられているので、注意したい。

メモを取るタイミング、姿勢

また著者は、「日々の生活の中で気になったことも、どんどんメモすべき」だと言い、それがアイディアに繋がると述べている。私は今まで「記憶のスクリーニング(覚えていないことなんて、どうせ大したことないと考える)」信奉者だったが、歳をとるにつれ記憶力も衰えてくるし、結局全然アウトプットできていない。そのため、考え方を改めて、日々コツコツと、しっかりメモをとろうと思った。

メモを取るポイントとしては、提示されたもの、既存のものの何が本質(問題)で、それを基に何が「できる」のか。実際にアクションがとれる粒度まで分析し、書き記すことが大切とのことだった。

終わりに

また、筆者がこの本で論じていることは、メモのとり方や効用だけではない。むしろ、自分に関するメモ「自己分析」に重きが置かれている。久々に自己分析をして自分の夢を明確にし、短期目標を立てて頑張ってみようかと思った。この本で学んだ姿勢や、自己分析を続けていきたいが、問題は続けられるかどうかである。ミニマルに生きたい私がいきなりメモ魔になるのは難しい(というか不可能)だと思うが、毎日少し(5分とか)でも頑張ってみたい。

読書『読んで、訳して、語り合う。/都甲幸治』

英米文学専攻で修士課程に在籍していた頃の自分。お金も才能も無かったので、研究の道に進むのは諦めた。だけど、やっぱり今でも英米文学研究に憧れがある。楽しそうに文学について語る先生達の姿は素敵だ。そして、 いつも知らない世界を見せてくれて、考えたことがないことを考えるキッカケを与えてくれる。この本は、米文学研究者のそんな熱い思いを感じさせてくれて、大学時代を思い出させてくれた。

英語の達人は、どうやって英語を勉強したのか

まず、英語について。英語が上手な人って「どうせ、小さい頃から触れる機会が充分にあったんでしょ」とか「元々英語が得意で、ガッツリ留学して自然とできるようになったんでしょ」とか思っていた(いる)のだけれど、意外な事に都甲先生はどうやらそういう訳でもないらしい。中学、高校、大学受験の英語を勉強して、次は高校生向けの塾の先生に。二年後にアメリカに留学するも充分なコミュニケーションが取れず、ビデオを大量に買い込み、空き時間にずっとリスニングして、半年くらいしたら大体分かるようになったとのこと。

結局は、自分に合った、地に足の着いた地道な努力が英語力を造り上げるのだと思った。少し前、小学校の頃からの親友がアメリカに転勤になった。色々な意味で遠くに行ってしまったのが淋しい。とりあえず(という姿勢は良くないけど)自分も英語をやらなければいけないなと思う。

日本の文化・文学について考える(村上春樹を通して)

米文学者の本なので、日本についてはあまり言及されないかと思ったが、ガッツリ語られている。特に、村上春樹について。みんな、村上春樹が大好きである。みんなの好きさが伝わってきて、そしてその読み方が深くて面白かった。特に、以下の話が興味深い。

  • 当時の作家はみんな原語でテクストを読んでいた。村上春樹は実は非常に古典的に、複数の言語で考えながら日本語を書き換えていくことをしている。
  • 偽物であることのオリジナル。翻訳は劣化コピーではない。文化は、いつも翻訳でリミックスしている。
文学の「読み方」について

本書で次の記述を読んで、都甲先生の授業を受けてみたいと思った。とても楽しそうである。自分が何かを伝える時も、こうでありたい。

大学の授業をするときに思ってることなんですけれども、文学の面白さを学生一人一人に体感させたい。体験型アトラクションみたいに、僕の脳みそという乗り物にのっかってもらって、こういう風に進んでいくとこんなに楽しいんだよっていうのを体感してもらって、じゃあ自分でも読もうかと思ってもらうということをすごく意識している。楽しさを身体で感じてもらうことが重要かなと思っています。

自分はセンター試験国語の小説問題が苦手で、15年経った今でもコンプレックスを持っている(呪いになっている)。自分勝手に読んで、明らかな誤読をするのは良くないと思うけれど、学校の試験のせいで小説を読まなくなってしまうのは悲しい。(小説の入試問題については、タイムリーにも今週のタモリ倶楽部で取り上げられるようなので、観てみたいと思う。)そして、以下の星野智幸氏の発言を読み、気が楽になったというか、改めて文学を読む勇気を持つ事が出来た。

さまざまな読み方があっていいんだという意識で読まないと、本当は小説や文字を読む意味も醍醐味もない。僕は、読み手と書き手が、それぞれ自分という範疇から一歩外に出て出会う場が、文学というテクストの時空だと思うんですよ。それが日常の読書であっていい。でも、いまはみんな正解の読み方をしようとするか、自分に見えないものは絶対見たくないという姿勢で読むかのどちらかで、なかなかどちらのテリトリーでもない場所には出てこようとしない。目の前にわからないテクストがあったときに、わからないからうれしいとか、わからないからこそちょっと考えてみると思ってほしいんです。

この本を読んで、もっと文学を読もう、読みたいと思った。原書で英米文学を読んでみたいな、とも。(学生時代以来、実に10年ぶりだから読めない気がする。)また、翻訳についても興味を持った。翻訳の世界は全く知らないので、ちょっと勉強してみよう。