おいも研究室

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読書『人生の短さについて:著/L.A.セネカ、訳/中澤務』

気がついたら、今年も残り僅か7週間である。世間一般的に「歳をとると、時間が経つのが早く感じられる」と言われるが、これほどにまで1年があっという間に過ぎ去るようになるとは思わなかった。恐怖を感じる。そんな時、本書が目に飛び込んできた。

奪われる時間

著者は多くの人が「他人に人生を奪われている」という。今でいえば「やりたくない仕事を押し付けられる」とか「付き合いで飲みに行く」とかが当てはまるだろうか。あるいは、「スマートフォンでゲームをする」とか「ぼーっとテレビやネットを見る」というのも、時間を奪われていると言えるだろう。
ミヒャエル・エンデの『モモ』に「時間泥棒に、時間を葉巻にして吸われちゃう」というようなシーンがあった気がする。(ちゃんと内容を覚えていないので、今度再読しよう。)今の世の中、情報の流通速度が速くなったことも手伝い、さらに時間の奪い合いが過熱しているように感じる。そうでないと、資本主義社会の中で顧客を奪い取ることができないのだろう。しかし、そのようにコマーシャリズムが氾濫する現代社会の中では、主体的に生きていないとどんどん時間を奪われてしまう。

人生最後の日
「生きる上での最大の障害は期待。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすから」

今まで漠然と感じていたけれど言葉にできなかったことが言い当てられていて、ハッとさせられる。日々生きる中で、どうしても未来の楽しみ(連休や給料日、ボーナスやイベントなど)を心待ちに生きてしまい、日々の生活をないがしろにしてしまうことがある。その楽しみにたどり着きたいがために、心のどこかで「今の退屈な時間よ、早く過ぎろ!」と思ってしまう自分がどこかにいるのだ。

「毎日を最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない」

今日が人生最後の日だったら、どうやって過ごすだろう。一日一日と全力で対峙しなければいけない。

歳をとるということ
「真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある」

2歳の娘と一緒に写真をとる。自分の顔がとてもくすんで見える。歳はとりたくない、もうイヤだ!と思う一方、魅力的に歳をとっている人たちもいる。私にとって、魅力的に歳を重ねている人たちは、得てして芸術家や求道者である。例えば、音楽の巨匠はしばしば音楽の神様に人生を捧げていて「指揮台の上で死ねたら本望」みたいな人も少なくない。歳をとればとるほど深みを増し円熟に達する。今年奏者としては引退してしまった(今後は教育者として活動を続ける)マリア・ジョアン・ピリスのピアノは、まさに天にも昇るような調べだった。「だるまちゃん」シリーズのかこ・さとし氏も、晩年のぎりぎりまで絵本をつくっていた。自分は短い人生を、ほんの少しでもいいので、鈍くてもいいので輝けるように過ごしたい。(でも、アルゲリッチブロムシュテットとか、巨匠ってもちろん若き日も大天才なんですよね。。。)
自分にとって人生を捧げられるものって、一体何だろう。